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Toru Arima (アリマ・トオル)

有馬徹 (ドラム・ギター・パーカッション)

有馬徹はノーチェ・クバーナの楽団結成者である。

早稲田大学商学部在学中、渡辺晋(渡辺プロダクション通称:ナベプロの創業者)と、音楽プロジューサーで森進一・布施明・中尾みえやクールファイブの育て親としても知られる

チャーリー石黒らと演奏活動を始める。

昭和298人編成でノーチェ・クバーナをスタートさせた。

昭和32年には18人編成のビッグバンドを結成、日本のトップラテンビッグバンドの座をものにし、ゴールデンエイジを走り続けた。有馬徹はパイロットであり事業家でもあった。有馬航空と言う航空写真会社ほか、YS11(日本の旅客機)が海外からの注文で有馬徹が自操縦し海外に納機をするなど操縦士としても活動していた。また、国内ではDC3機でメンバーを乗せコンサートにでかけていたことでも知られている。

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​有馬航空(東京恵比寿)全盛時代パイロットととして世界を羽搏いていたころの有馬

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Mikihiko Awaya​ (アワヤ・ミキヒコ)

​淡谷 幹彦 (歌手・ギタリスト)(一般社団法人日本歌手協会会員)

​有馬徹ノーチェ・クバーナ・2代目リーダー&オーナー

東宝の日本劇場(日劇)恒例の春のおどりでフラメンコギター奏者としてデビュー後歌手に転向。ギター片手にラテン民族の感情をボレロで歌う時、彼独特の渋い歌声は他にはない深みと味わいが有ります。宇野重吉に見出され劇団民芸の泰山木の木の下で(北林谷栄主演)全国公開では480回余りの舞台をこなし、有馬徹とノーチェ・クバーナのコンサートでは看板歌手として、全国民音や労音、アメリカ民音等でも活躍脚光をあびた。

また1978115日(成人の日)NHKホールにて皇太子殿下(平成天皇)美智子妃殿下を招き(生放送)NHK交響楽団(N響)と有馬徹とノーチェク・バーナの合同演奏でエルネスト・レクオーナ名曲マラゲーニアのアレンジで淡谷幹彦のギターがフィーチャーされ注目をあびる。

日生劇場のミュージカル公演石原慎太郎プロジュース(焔のカーブ)ではレーサーが事故で失明した役に抜擢され得意のブルースを歌い好評を得た。日本では数少ないラテン歌手界において長年培われた彼の芸はいぶし銀のごとき存在である。 有馬徹没後2代目リーダーとしてメガフォンを取り現在も活躍を続けている。

​音楽評論家  ・   

​日本訳詩家協会・会長

​永田 文夫

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